近世、近代の地誌、統計書をデータベース化し、それをGIS(地理情報システム)を用いて地図を作製し、創造的地域論の構築に努めた。データ収集としては、初年度に続く形で、愛知県三河の地籍帳(明治17年)と岐阜県各郡町村略誌(明治14年)を補充した。前者に関しては、同年の地籍図を参照して、明治後半の5万分1地形図に藩政村の村境を入れる作業を行った。同様の作業を前年度にすませた尾張地区においては、『尾張徇行記』および明治地籍帳の内容を地図に落とし、初歩的な空間分析をおこなった。その結果、近世前期には1世帯当たり6人を越えていた家族員が後期には4人をきっており、空間的には名古屋という都市に近いところほど減少率が高いことがわかった。また、知多半島の多くの村が地酒を江戸に運んでいたことから、名古屋というローカルな大市場の上部にさらに大きな江戸全国圏が張り巡らされていたことが見てとれた。地籍帳の地価データからみた田、畑の地価の空間的遷移はスキナーのいう都市(名古屋)を中心として変化するというよりも、古くから田畑作を集約的に行っていた所(名古屋から西へ数キロ地点)を中心にした方がより精度が高い減少率で中心=周辺論が語れることが明らかになった。 岐阜県各郡町村略誌については、大垣以南の美濃南部地域における各種分布図が作成できた。たとえば、馬が平野部、牛が山地に分布し、車が中山道など主要街道沿い、舟が輪中地帯に多いことなどが示された。奉公人について男女の給金差がはっきりと描出されたと同時に、都市部でやや高く山地辺境部で低くなっていた。 これらの成果については、名古屋大学図書館主催の講演会(3月)、SSHA:社会科学歴史学会(於、米国・ボルチモア、11月)、ICHG:国際歴史地理学会(於、ニュージーランド・オークランド、12月)で発表した。
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