本研究は、近現代中国、とくに中華人民共和国成立期において展開された母子衛生政策の展開過程と特徴の解明をめざし、これにより、現在中国で行われている計画生育政策(いわゆる一人っ子政策)を可能にしたような乳幼児死亡率の低下・国家による個別の女性の身体管理・人々が(消極的にであれ)計画生育政策を受け容れるメンタリティ、などがどのように形成されたかを明らかにしようとするものであり、とくに1950年代の上海における状況について重点的に研究している。 平成14年度には、上海市档案館所蔵档案の調査などにより、以下の点を明らかにした。1950年代上海の母子衛生政策は、近代的な出産法の普及や衛生知識を持った助産婦の増員、また三段階の体系的な母子衛生組織体制の設立、そこへの医師・助産婦の組織化、婦女聯・工会女工部などとの連携による工場での女工保健の実施、などの内容を持つものであった。これは内容的には中華民国期の上海市衛生局の施策と連続性を持つものも含まれるが、大衆動員を伴って民国期よりはるかに広範かつ徹底的に実施されたところに大きな特徴がある。その結果、顕著な乳児死亡率・妊産婦死亡率の低下を実現することができた。また都市部では、施設内分娩率もかなり高くなった。さらに、工場での女工保健施策を通じて女性の身体への集団的管理が始まっており、また、50年代後半には、希望者に対する計画生育の指導を各母子衛生施設を行うことが政策的に指示されていることも明らかになった。これらは他の地域と比較した場合、上海で特に顕著だったということができる。
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