研究概要 |
本研究は、近現代中国、とくに中華人民共和国成立期において展開された母子衛生政策の展開過程と特徴の解明をめざし、これにより現在中国で行われている計画生育成策(いわゆる一人っ子政策)を可能にしたような乳幼児死亡率の低下・国家による個別の女性の身体管理・人々が(消極的にであれ)計画生育成策を受け容れるメンタリティ、等がどのように形成されたかを明らかにしようとするものであり、特に1950年代の上海における状況について、重点的に研究している。平成16年度には、これまでの文献調査と聞き取り調査を踏まえて、特に当時上海で出産経験のある女性への聞き取りと、当時助産婦・産科医師として、また居民委員会幹部として母子衛生事業に関わった経験のある女性への聞き取りを重点的に行った。 その結果、当時の女性たちの節制生育(産児制限)に関する知識と行動について、以下のようなことがわかった。女性たちの知識は、その文化程度(学歴)によって大きな違いがあり、大学卒の上層知識分子の女性には、雑誌などで産児制限に関する知識を得て、自ら実行しているものもいた。しかし学校に通ったことのない層の女性には、おおむねそのような知識はまったくなく、3,4人以上の子供の出産・育児を経た後、出産時に病院で、あるいは地区の居民委員会の幹部から、避妊手術や避妊具に関する知識を得て、実行した人が多い。こうして知識を与えた機関は、上部の指示による政策の一環としてそれを行っていたのであり、上海では、かなり早い時期から計画生育(産児制限)が開始されていたということもわかったが、状況は一律ではなく相当な偏差を伴っていた。
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