平成15年度には、ジュフロワ美学の現代における意義を考えるために、19世紀フランス・スピリチュアリスムを思想史的に位置づけようとした。そのための手がかりとして、第一にベルクソンの「物質論講義」、第二にエミール・セッセの論文「霊魂と生命」を取り上げた。 まず、ベルクソンの「物質論講義」(ca.1894)は、さきごろ完結したユード校訂のベルクソシ『講義録』に収録されずにしまった未公刊の資料であるが、これはデカルト以来の心身関係論を扱った貴重なマニュスクリ(パリのジャック・ドゥーセ文学図書館に保管されている学生による手書きノート)である。これを活字におこしてテクストを確定し、あわせて翻訳を行った。古代人の物質論および近代人(デカルト、スピノザ、マルブランシュ)の物質論がベルクソンによって如何に理解されていたかを探ることは、『物質と記憶』における持続一元論の発生と成熟とを跡づけるために不可欠であるのみならず、フランス・スピリチュアリスムの中心問題に切り込むためにも重要な手続きである。 一方、スピリチュアリストのセッセによる「霊魂と生命」(1864)は、ちょうど「フランス・スピリチュアリスム」がその名称とともに確立する時期に書かれた心身問題に関わる枢要な論文で、実証主義の台頭と新アニミスムの勃興のなかにあって、ジュフロワがメーヌ・ド・ビランの考えを受け継ぎつつ、いかにスピリチュアリスムの確立に貢献したかを論証したものである。そこでは、新アニミスムによるビラン、ジュフロワへの批判が、スタールによるデカルト批判、さらにはアリストテレスによるプラトン批判と類比的に論じられ、ジュフロワが生理学から心理学を峻別しながら、事実としての霊魂のスピリチュアリテを確保した経緯が明解に述べられている。
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