古来日本絵画において大気の表現は、画家の空間を把握する認識のありかたが如実に示される部分である。室町時代以来わが国の水墨画に多大な影響を与え続けてきた中国・南宋時代の画家牧谿や玉澗の大気表現は、薄墨を滲ませるように用いたものであった。一方着色画においては、狩野・土佐・長谷川派などが金泥や金箔で雲あるいは霞をあらわしており、平面的で概念的・装飾的印象を与える。空の色が今日我々がイメージするところの青色であらわされるのは、18世紀後半までまたねばならず、19世紀になって葛飾北斎筆『富嶽三十六景』シリーズの目にも鮮やかな青い空が巷間を席巻したのは日本絵画の空間表現における一大革命といえる。 本研究では以上のように江戸時代における大気表現が装飾的なものから青い空へと変遷する過程を考察するものである。平成14年度は、江戸時代初期17世紀の『源氏物語画帖』など装飾的な細密画の調査を国内美術館および大英図書館で行った。これらにあらわされた風景表現は、物語の情景を示すものとしてのそれであり、実景を描くという意識が希薄である。描法はおおむね金地に金雲を配するというものであった。また、大英博物館にて円山応挙作品を調査したが、応挙の花烏画の中には中国清時代の画家・沈南蘋の影響を強く受けたものが見出された。来日経験のある南蘋の画風はわが国でおおいに流行し、南蘋様式の花鳥画が多く制作されている。その写生的な花鳥画の空間表現に青い空があらわれているが、18世紀後半に画壇の覇者となった写生派の祖・応挙がこの技法を取り入れていたのは興味深い。さらに同館所蔵の応挙筆「氷図屏風」は墨のみで水面に張った氷の亀裂を描いた作品でありながら、従来の墨画に見られる概念的・装飾的表現でなく、遠近法を考慮した奥行き感のある構図となっており、応挙による新たな視点の獲得を示している。
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