平成16年度は、8世紀後半における神像の成立の問題、その一例と考える京都・神護寺の本尊薬師如来立像に関する問題、独自の形で表わされ最初期の神像である京都・松尾大社の三神像についての研究を行った。 8世紀後半における神像の成立の問題については、『多度神宮寺伽藍縁起資財帳』および、八幡神を中心とした『続日本紀』における神仏習合関連記事から考察した。その結果、8世紀における神仏習合は、時の為政者の考えが強く反映していることが判明した。また、8世紀における神仏習合の最も顕著な事象は神宮寺であるが、神宮寺は神を本尊として祀る寺であり、その像は仏像の形で表わされたという田中惠氏の指摘が正しいことを確かめた。そのような像は、8世紀末になると神像ではなく仏像として祀られるようになり、その例である可能性のある像も残っている。 神護寺像については、神護寺に残される古代・中世の史料からさまざまな検討を加えた。その結果、神護寺本尊像は、神護寺の前身寺院の一つである神願寺の本尊像として造られたこと、現在薬師如来として祀られるが、本来は八幡神像として造られた可能性が強いことが判明した。それは、前述の神宮寺における仏像の形をした神像の一例であることを意味する。 松尾大社像については、これまで9世紀後半に造られたと考えられてきたが、『本朝月令』の検討から承和年間(834-847)に造られたことを論証した。また、松尾大社像については、蛍光X線分析装置を使った彩色調査も実施した。 以上の点については東京国立博物館紀要40号で論述している。
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