本研究は、身体の名付けに文化・歴史社会学的手法を用い、日本における人種・民族イメージの変遷を考察するものである。具体的には乳幼児の尻の青い痣は、いかにして「青痣」「鬼斑」「児斑」などか「蒙古」斑と呼ばれるようになっていったのかから調査している。(今日、人類学事典などでは蒙古斑は差別語ケースもあるが、国語辞典的にはそうはなっていない。) これは非常にミクロでだれもが当然と考え、何等考察してこなかった名づけの変遷を徹底的にしらべることで、忘却され、潜在している背景にある思考をくみ出す作業である。そして、社会学と文化人類学そして歴史学と民俗学の融合した学際的手法にもとづく研究である。このような資料の収集、扱い、問いの立て方は、相対研究会(代表井上章一)や国際日本文化研究センターの共同研究班(表現における越境と混淆、代表井波律子)に集まった社会学・科学史・歴史学・文学などの人々の混淆した研究ぶりに刺激をうけている。 本研究でに批判的に意識しているのは、小熊英二の思想史的手法であり、また赤川学のフーコー流言説分析の手法である。また、肯定的に補助線としているのは井上章一の風俗史的手法である。 本年は関西圏の京都大学附属図書館・国際日本文化研究センター図書室だけでなく、大宅壮一文庫、国立劇場演芸場演芸図書館など東京の専門図書館での収集も重視した。 また、資料の収集過程で発生した問題などは相対研究会(於京大会館)を中心に相談した。さらに知識社会学研究会(京都大学大学院生の研究会)でも社会学方面からの意見をもらった。またアジア関連文献では、国立国会図書館関西分館の村上浩介氏にアドバイスをうけつつある。 一方資料も、民俗学や言語学(方言研究:アイヌ語など)方面への広がりをみせ、学問領域だけでなく、民衆の知の中での「蒙古斑」にせまりつつある。
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