本年度は、郊外型幼稚園の系譜に属する成城幼稚園と小林宗作のリトミックに関する史料・文献調査を行い、本事例を中心に1920〜30年代の郊外住宅地の開発とモダニズム、新中間層の家族戦略、子ども中心主義と自然の教育に関する考察を行った。その結果、以下の3点が明らかになった。 第1に、私学の経営戦略と都市新中間層の教育熱が作り上げた「学校村」で、成城幼稚園は両者の要請に応える教育の場として構成された点である。関東大震災(1923年)を契機に、牛込区原町にあった成城小学校の関係者は北多摩郡砧村への学校の移転を進めた。当時の成城小学校主事小原国芳は、この移転を決行し、かつリトミックを日本に導入した小林宗作(1891-1979年)を同園に招いた。 第2に、小林宗作のリトミックを中心とするリズムによる教育で、自然科学の対象としての子どもの身体と自然を調和する子どもの身体の2つの身体をめぐる教育言説がつくられた点である。これらの子どもの身体は、それまでの幼児教育が対象にしてきた自然に発達する身体でもなく、衛生や医療の対象として清潔にされ治療される身体でもない、早期教育の対象となる子どもの身体を準備していた。 第3に、小林のリズムによる教育において、郊外の幼稚園における早期教育が構想され、成城幼稚園での教育が「よい子」を生み出すことに集約されていった点である。 上記の研究成果として、次年度には学会誌への論文登校を予定している。
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