国立大学発展計画の構想は、金泳三政権下の1995年に行われた「5.31教育改革」において、高等教育の国際化に関する方針の一つとして米国型の大学市場モデルの導入を意図しはじめたことからはじまる。これは金大中大統領に政権交代した後も引き継がれた。さらに通貨危機によるIMF体制移行によって、政府投資の効率性重視路線が国立大学発展計画の構想推進に拍車をかけた。各大学では政府の「国立大学発展計画」に伴う自己発展計画の提出が求められ、各大学は提出こそしたものの、非常に短期間でとりまとめなければならなかったため、総長の強いトップダウンのリーダーシップで行われたものがほとんどで、労働組合からの反発や統合再編計画に関する意思の大学間不整合などの問題がおきたのは事実である。ただ、混乱した初期の自己発展計画提出期に、大邸・慶北地域の国立5大学は共同の「大邸慶北国立大学校発展計画」をいちはやく提出し、再編方針を明らかにした。続いて、少々の検討期間をおいで2002年度に光州・全南の国立大学校も「全南国立総合大学校」計画をまとめた。教育人的資源部は大規模な再編支援資金を投入し、2010年までの地方国立大学完全連合大学制移行を推進している。 わが国への示唆は、韓国の場合、地方分権や知識基盤社会への移行をにらみ、地方の既存の特性を活かした国土均衡発展政策の一環として「国立大学発展計画」を明確に位置づけている点にあろう。地方国立大学は地域の主要産業に立脚した人材養成の拠点とすることが、、「人的資源開発基本法」などを通じ、て明確に示してあり、そのミッションを果たすための機関であるというグランドデザインが定まっている。「国立大学発展計画」の位置づけもそのための一機能であるという分かりやすいメッセージがある。わが国の国立大学の統合・再編は行政改革の一環という色彩が強く、未だに政府・審議会か5の国立大学グランドデザインも示されていない状況である。地方国立大学が「地方」の拠点大学としてどう位置づけるのかを、産業構造の再編等社会変化に対応して早急に位置づける必要があるだろう。
|