本年度は、第三期台湾領有戦争と評される台湾原住民への軍事「討伐」実施(「理蕃五ヶ年計画」)に先駆けて、植民地統治初期の政策実行の中で、原住民がどのような存在として位置づけられ、取り扱われていくのかを、日本「内地」と植民地台湾との人的・知的移動という側面に焦点をすえて研究をすすめた。 そこで(1)台湾原住民は台湾領有以後約十年間を経た段階においても、法治の対象とみなされるのか否か-つまり法的人格として認定されるのか否か-が、曖昧な存在として政策実行の中で扱われ続けたということ。(2)一点目と深く関連して台湾原住民は、国籍上「日本人」とみなされるのか否かという点でも、政策実行上も、また法学的議論においても、その境界線の上に置かれ続けたということ。(3)台湾原住民の国籍をめぐる法学的な論争は、それに先駆けて日本「内地」で展開された「日清講和条約と国籍移行」をめぐる論争から、大きな影響を受けているということ。(4)第一点目、第二点目の動向は、「理蕃五ヶ年計画」実行に向けての地ならしとしての側面を、たぶんに含み込んでいたということ。(5)第三期台湾領有戦争の戦闘員として日本「内地」から台湾に渡った兵士を媒介とし、その兵士を送り出した地域社会に、ある一定の台湾原住民認識が急速に広まっていったということ。以上の五点を、国内調査および台湾調査によって収集した資料を分析することで、具体的に解明した。 これらの研究成果は、第二回国際シンポジウム「台湾の近代と日本」(中京大学)、「ナショナルアイデンティティの多層化と多文化社会の将来」研究会(立命館大学)などの国際学会・国内研究会で報告を行うとともに、そこでの議論をふまえて、論文「領台初期における台湾原住民をめぐる法学的言説の位相-『帝国臣民』の外縁と『帝国』の学知-」(『日本学報』第22号)、「台湾原住民の法的位置からみた原住民政策の展開-植民地統治初期を中心に-」(『台湾の近代と日本』)としてまとめ、発表した。
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