(1)北海道立文書館所蔵の開拓使および三県の公文書から、狩猟、肉・皮の加工、缶詰など製品の移出に関する史料の所在状況を調査し、そのデータベース化を進めるとともに、写真撮影による収集を行い、そのうち1876年制定の「北海道鹿猟規則」の運用実態に関する史料について翻刻作業を進めた。開拓使による鹿猟規制が実施される以前において、十勝地方および日高の一部において、鹿の生息数の減少につながる銃の使用の抑制などアイヌ民族による自立的な狩猟規制があり、和人狩猟者の流入を伴った鹿猟の加熱がそうした自立性を浸食したのではないかという見通しを得た。「北海道鹿猟規則」による鹿猟免許者の構成については、統計的な史料がほとんど得られなかったが、欠ける部分が少なくないものの、個々の免許取得申請手続きに関する史料を収集しつつあり、その分析によっておおよその傾向を把握できる見通しである。 (2)鹿製品の北海道からの流出状況を把握するための予備調査として、近世の日中交易や明治期の貿易に関する既往の研究書を調査した。蝦夷地・北海道での鹿猟を活発化させる要因として近世日本での鹿皮の需要があること、幕末の開港以後、箱館港から角・皮が多く輸出されていることが分かってきた。また、明治初期の北海道の鹿猟の活発化は、官設の缶詰工場と関連づけて理解されることが多かったが、断片的ながら、初期には中国で薬用に用いられる角を目的とした狩猟が先行していたことを示す史料があり、これらの点は、今後の検討課題である。 (3)北海道の事例と比較・検討するため、福島県と宮城県の県庁文書を調査し、明治期の狩猟・野生生物対策に関する史料を収集した。
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