1 南東ヨーロッパとブリテン島の新石器時代の様相と、縄文文化の様相について、イデオロギー的な側面を中心に比較研究を行ったところ、次のようなことが分かった。 ・土偶はヨーロッパ南東部と東日本を中心とする縄文文化で盛んに作られるが、ヨーロッパ北西部では稀であり、土偶の製作は、定住化および人口増加と密接に関わっていると考えられる。南東ヨーロッパの土偶と縄文土偶は、大半が破片となって集落から出土すること、初期の例は身体的特徴を単純化したものが多く、のちに顔の表現や文様・衣類等の表現が発達することが共通している。また、両地域ともに明確な女性像は従来指摘されてきたほど多くなく、地母神というより、人間存在に対する関心の高さを示すものと理解したほうがよく、農業生産力との関わりより、定住化に伴う社会の複雑化との関係が強い可能性がある。 ・死者に対する取り扱いにおいては、縄文社会はブリテン島の新石器社会と共通点をもつ。それは、死者も集団の構成員として認識され、その遺体に対する関心が長期的に保持されるところである。これは、部族社会の特性としてとらえることができよう。 ・以上の成果については、国内・海外の学会等で発表している。 2 昨年度の調査結果をふまえて、熊本県人吉市の瓜生田遺跡の発掘調査を行い、次のような成果を得た。 ・昨年一部を確認した縄文時代後期末から晩期初頭ごろとみられる住居跡を1軒完掘し、さらに2軒の竪穴住居の一部を検出した。また、住居が半ば埋没した段階で住居内に作られた集石遺構を2基確認した。 ・住居埋土および周辺から土壌のサンプリングを行い、植物珪酸体分析とリン酸分析を行った。その結果、住居の床面から壁際に沿って立ち上がる層から、高い密度でイネの珪酸体が検出され、また床面直上の層からは高い密度でヨシ属の珪酸体が検出された。縄文時代後期末から晩期初頭の段階で、イネが栽培され、壁材などにも利用されていた可能性を示す結果として注目される。 ・遺物を多く含む包含層の土壌を用いて放射性炭素年代測定を行ったところ、calAD240年という年代が得られた。この年代は弥生時代後期に相当するが、該期の遺物はまったく出土しない。この層のすぐ上が耕作土であるため、本来縄文時代後期末から晩期初頭に形成された層に、耕作等によって新しい時代の炭素が混入している可能性が考えられる。
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