今年度は大坂城における整地前後の基礎データの収集・整理を重点的に行った。具体的には大坂城域で行った発掘調査で検出された各時期の遺構面の標高・土地利用を再検討し、調査地ごとの地形変化を数量化することにより、地形復元を開始した。得られた諸データはGISアプリケーションとの連動を図っている。その結果、整地を挟んだ豊臣前期と豊臣後期との地形・土地利用の変化が、以前検討を試みた際よりも具体的に理解することが可能となった。 豊臣前期においては城内に谷地形を多く残しており、遺構の希薄な個所も認められ、空閑地も多く存在している。現在残る街区は当時には成立していないと考えられる。豊臣後期の段階には、谷地形は埋めたてられ、平坦地が造成される。遺構の方位も揃うことから、この時点において街区の整備がなされたと推定できる。城郭外周の整備が主体で、防御を中心とした軍事的目的の城郭づくりを行う豊臣前期の段階から、城郭内部の整備が主体で、単なる軍事的な目的のみならず都市としての成立を目指した豊臣後期の段階へと変化したと評価できる。ただし、豊臣後期の段階にあっても南西部など整備の行き届かない地域があることも確認された。この差が生じた原因についてはさらに検討を加えたい。 また、諸城郭との比較については、中近世の諸城郭に係わる文献を入手し、諸城郭の立地・構造についての資料を得るとともに、城郭築造に関する研究史をはじめとする基本的な知議を得た。占地に当たっては旧地形に左右される部分が大きいことを追認し、築城後に再度城域全体に整地を施す大坂城のような例は多くないことが判明しつつある。築造時期、存続期間、城郭の目的などの違いによると考えられるが、築造する主体の支配力の強弱にも大きな要因があると推定できる。類型化については次年度以降の課題としたい。
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