本年度は北海道・東北地域および中・四国地域を対象として、各遺跡出土の下駄を実見し、写真撮影を行った。この作業の主な目的は報告書では確認できないデータの収集にあるが、主な項目としては柾目か板目か、台表が木表なのか木裏なのかなどの木取りの確認、上面図では判読しがたい歯と台板の幅の関係の確認、鼻緒の壼穴の開け方の確認などを中心に行った。これらの作業を通じてたとえば以下のような情報を得ることができた。 秋田県洲崎遺跡出土下駄は実見した限りでは木取りは全て柾目となっている。(報告者のご教示によれば未実見のものも同様であるという)このような事例は洲崎遺跡のみに認められるもので、地域性を抽出するために重要な情報である。また壼穴に円筒状の鼻緒留めが残存するものがあり、壼穴を開ける手法として、環状の工具で抜き取るという行為が想定される。これを裏付けるように、台尻に環状の工具で押印したと考えられる装飾が認められる資料を確認することができた。 宮城県仙台城三の丸跡では歯の方が台板より幅が狭いものが多い。本来この特徴は古代の下駄に多く見られるが、これもまた地域性を示す可能性が考えられる。 岡山県岡山城二の丸跡では小判形の下駄には漆が塗られているが、方形の下駄には塗られていないという明確な差が認められる。小判形は女性用、方形は男性用という通説通りに、平面形の差異による性差が存在したことを示唆する可能性が高い。ただし同じく岡山城でも外堀跡ではこのような傾向は認められず、出土地点による差というものも考慮する必要がある。 韓国弥勒寺跡の下駄は、日本の下駄が通常壺穴を3個あけるのに対し、台頭・中央・台尻の側縁部に3対、計6個の壼穴を開けるという類例のない形式である。日本では中世以降に壼穴を焼火箸で開けるようになるが、7世紀代と推定されるこの資料は焼火箸で穿孔しており、その意義が注目される。
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