今年度は、昨年に引き続き、日本の初期寺院の瓦生産に多大な影響を与えた韓半島、百済の瓦生産との比較(軍守里廃寺・亭巌里窯跡出土軒丸瓦)および瓦工の渡来(広陵町三吉周辺出土軒丸瓦)のあり方に関わる検討を行った。 軍守里廃寺出土軒丸瓦の検討では、軍守里廃寺の創建瓦が亭巌里窯跡をはじめとした2箇所以上の生産地から瓦の供給を受けていることが明らかになった。また、亭巌里窯跡出土軒丸瓦の分析からは、(1)同窯が軍守里廃寺の専用窯でないこと、(2)複数の消費地に瓦を供給する官窯の可能性が高いこと、(3)同窯には少なくとも2つ以上の瓦工集団が関与したこと、(4)同一瓦工集団が消費地の要求に応じて、有段式、無段式丸瓦を作り分けていること、などを明らかにした。特に、亭巌里窯跡では、日本の初期瓦生産において体系的な技術を異にするとされる飛鳥寺「星組」、「花組」の相異点でもある有段式(星組)、無段式(花組)丸瓦のどちらをも同一瓦工集団が生産していたことになり、日本の初期瓦生産で指導的な役割を担うことになった「星組」、「花組」瓦工集団の技術的保守性を伺ううえで重要な情報を得ることができたといえる。 また、奈良県広陵町三吉周辺出土軒丸瓦の分析では、同軒丸瓦が百済・烏合寺跡出土軒丸瓦を粗型とする百済直系の瓦であること、これらの瓦が百済からやってきた瓦工によって生産されたものであることを明らかにした。また、これらの瓦やその影響を受けたとみられる瓦が周辺に分布しないことから、瓦工は単に瓦の生産を目的として渡来したものであり、瓦生産技術を指導・教授するという目的はなかった可能性を推測した。この分析によって、「星組」、「花組」瓦工集団のあり方とは全くことなる瓦工の渡来のあり方を示すことができたといえる。
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