今年度は、蔵書目録のなかの奥書から法勝寺の伝来の本、及び、法勝寺について言及した本を拾う作業をした。その為に、手に入る限り、多くの蔵書目録を購入した。また、効率を挙げる為に、コンピュータを購入し、データの保存を行った。収集した資料のうち、特に「今音物語集」と同時代にあたる平安末期のものについて検討し、幾つかの知見を得た。一つは、これまでの研究史では、法勝寺は法会以外の時には実態がない寺とされてきたが、実際には、本の書写を行ったという奥書が幾つも残されており、日常も機能していたという事実である、また、それらの本の書写の奥書から明らかになったのは、法勝寺には宗派を超えた寺院間のネットワークが存在していたということである。具体的には、天台系の寺院である青蓮院、南都興福寺の末寺である清水寺などがあり、特に青蓮院との関係は、長宴の流派の三昧僧を通じて深いものがあることを発見した。このことは、「今昔物語集」のような雑多なものが編纂される社会的背景として重要である。他に、記録と往生伝と「平家物語」から法勝寺に関わる部分を抜き出す作業を行った。そこから、法勝寺に見られる日常的な僧の役割を考察し、法勝寺の僧の社会的位相を明らかにした。法勝寺には、往生伝と関わって、四種三昧僧を住まわせる場が用意されており、台密三昧教の聖教である「三陸抄」が法勝寺三昧僧長実によって書かれている。これらのことは、法勝寺が谷流の四種三昧行の拠点として、名聞利養を捨てる場であると同時に、様々な宗派の連結点の一つとしての役割を果たしていたことを示しているという結論を得た。以上のことを研究会において発表し、論文の形とした。
|