『小右記』『御堂関白記』の記事を調査し、共通する話柄を調査、分類したところ、婚姻・恋愛に関する意識と、社会的地位上昇に関する意識とが交錯するところに、「男性性」を端的に表すと思われる行動様式があることに気づいたため、一旦調査を中断し、それについてのみ、先に論文としてまとめた。記録類の調査としては、不十分な点もあったが、先のこの論点のみを学会に報告する意義はあると考え、この点に限り、既に調査・分析済みの物語・女流日記類からの再検証を行った上で、報告した。とりわけ、『源氏物語』帚木巻について、この視点からの読替が可能であることが確認できたため、論文にまとめ、雑誌『日本文学』及び森永康子・神戸女学院大学ジェンダー研究会編の『はじめてのジェンダー・スタディーズ』上において、この観点を報告した。以後、再び男性日記類の検証に戻り、分類を進め、『小右記』における、相応の権力者(当事者)である意識と、道長体制への批判者(傍観者)である意識との重心の移り変わりを感じさせる記述と、『御堂関白記』における権力者としての比較的シンプルな記述の質的差異からは、従来言われているような二人の個人的性格の差異のみならず、後代の『明月記』などや、中世から近世の「文人意識」の形成などにも見られる「政治」か「文化」かといった、いわば生き方の比重の置き方へのこだわりにもつながる、「男性性」の発現が看取される。この点については現在投稿準備中である。また、この「男性性」が対となる知識人女性の側にもたらす影響について考えた場合、女流日記類における「日常性」の獲得という点での大きいものがあると考えられたため、その点については「「思ひなげかじ」考」として、石原昭平編『日記文学新論』上に発表した。
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