国立公文書館内閣文庫、宮内庁書陵部、台湾国家図書館等に蔵される元刊本を集中的に調査、複写し、関連資料と併せて分析を進めた。まず1998年に韓国で発見された旧本『老乞大』を手がかりに、直訳体がアルタイ系民族と漢族との接触によって北方中国で発達したクレオール的中国語「漢児言語」を反映するとみなす説への批判を展開、モンゴル政府によって創り出された翻訳システムが、高麗、朝鮮、明、清に継承された事実を膨大な資料を提示して指摘し、そこで使用されたモンゴル語、漢語のテキスト、『老乞大』『朴通事』の成立年代についても新見解を提出した。次にモンゴル時代に隆盛をきわめた道教教団のひとつ正一教が、皇帝の認可のもとに教団の歴史を自らまとめ刊行した『龍虎山志』に着目し、『元史』の「釈老志」をもとに記述されることが多かった従来の道教史を見直し、さまざまな誤りを訂正した。さらにモンゴル命令文について新たな指摘を数点行ったほか、同時代の碑刻、典籍一般に共通する問題点-資料としての限界についても論じた。第三に、南京図書館に現存する天下の孤本-大元ウルス末期から明の初期にかけて活躍した江西省出身の一官僚がものした文集の記述を手がかりに、詞話『花関索伝』(明代中期のテキストが現存)の成立が、少なくとも至正年間(1340-1368)にまでさかのぼること、同時期『楊家府演義』のもとになった『楊文広伝』も流行していたこと、詞話はこれまで大衆の演芸と看做されてきたが、テキストに関する限り、官僚や在野の文化人たちも愛読していたことを指摘した。第四に、従来の徽州文書研究への疑義、挑戦の意味をこめて、『新安忠烈廟神紀実』なる書物に収録される複数の重要な文書を手がかりに、モンゴル時代の安徽省の地域社会の組織、宗教祭祀の実態、道教と仏教の争い、モンゴル王朝の地方神の保護等を論じた。
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