研究最終年度に当たる本年においては、引き続きコンラッド作品の分析と、進化論および社会ダーウィン主義関係の一次資料の収集・解析を行い、前年度における調査結果と併せ、最終的な結論に向け論考を重ねた。資料調査の結果、社会ダーウィン主義の言説は、その起源であるダーウィニズムの本来の思想と大きく齟齬を来すものであるという認識が得られた。ダーウィニズムは、「自然選択」という科学的概念によって、進化にいかなる目的性もないことを示唆した。他方、社会ダーウィン主義は、そのまさに同じ概念によって、資本主義社会のヒエラルキーの正当性を裏付けようとした。コンラッドの小説には、意味づけへの衝動に囚われた語りと、そうした語りを放棄し、一貫した意味づけを拒絶する試みとが同時に存在している。昨年度の研究において、進化論言説と小説の語りを、共に広義の「語り」として捉えるべきであるという考察に至ったが、そうした観点からロンブローゾやハヴェロック・エリス、スペンサーなどの著作における科学的言語のレトリックと、コンラッドの意味づける語りとを再分析してみると、この時代の「語り」がそもそも、既存の社会秩序に基づいた意味づけを後押しするための装置であることが見えてくる。そうした中、あえて「語ること」を放棄しようと試みるコンラッドは、小説の成り立ちそのものである語りを捨てるという危険を犯しながらも、ダーウィン後の時代において、世界認識の変容に敏感に反応しながら、小説の新たな形態を模索しているように見える。初期モダニズムとしてのコンラッドの形式については、これまでもさまざまな議論が重ねられてきたが、そこにダーウィニズムを原点とする認識論的変革の直接的関わりを見いだした点に、本研究の意義があると考える。同時に、その後のモダニズムへと続いていく流れの中に、ダーウィニズムを再配置する可能性もまた見いだされた。
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