本研究が対象とする小説『人生使用法』において、その創作過程には、数多くの要素が「制約」として機能している。このうち、とりわけ「絵画」の制約に着目したところ、有意義な成果が得られた。この制約は、あらかじめ十枚の絵を選び、小説の各章(全99章)でそのうちのいずれかへの暗示を行う、というものである。カルヴィノによって、「制約下の創作」における制約自体の恣意性が指摘されているが、十枚の絵の特徴を子細に検討すると、それぞれの絵は、何らかの意味で作家ペレックや『人生使用法』という小説に関係しているだけでなく、多くの場合、完成後の小説の特質を見事に予告していることが判明した。すなわち、『人生使用法』の生成過程において、十枚の絵は、テクストの「材料」を提供するだけにとどまらず、全体の「設計図」としても機能しているわけである。このことが示すのは、作家主体が自ら定めた制約の奴隷となるのではなく、それを制御し、ひとつの方向へと導こうとしている、という事実である。「制約」と作家主体は、単純に、支配・被支配の二項対立に還元されるものではなく、互いの弁証法的関係のなかで、物語を生成していると考えられる。あらかじめ自らに課した制約から物語を生み出す、というウリポの手法は、しばしば「文学生産マシーン」に喩えられ、作家主体の価値を貶めるものとみなされることもある。けれども、どれほど精妙な制約を定めたとしても、そこから自動的に物語が生成するわけではなく、ウリポ的創作に際しても、作家主体の個性や偶然的要素は必然的に介入せざるをえない。今後は、制約によって規定される「必然」と作家の個性が介入することで生じる「偶然」の関わり合いを、絵画とは別の視点から解明することが求められよう。
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