昨年度に引き続き、以下の調査・研究をおこなった。 1 これまでの資料調査の補足として、北海道大学スラブ研究センターにおいて、『罪と罰』、『悪霊』、『作家の日記』に関係する新聞雑誌記事の収集をおこなった。また、ドストエフスキーがつねに参照していた新聞『声』のマイクロフィルム1865-68年分を購入し、参照した。 2 『罪と罰』の背景となっている可法制度改革前後のジャーナリズムの言説を分析し、その内容よりもむしろ形式面に注目することによって、『罪と罰』における語りの形式に関する分析に関連づけ、論文にまとめた。そこで明らかになったことは、ドストエフスキーにおいては新聞メディアが、語りの視点をむしろ制限するための装置として使われていること、そのかぎりにおいて、小説と新聞メディアの共通性を「国民」という想像的な共同体を可視化する点にみたベネディクト・アンダーソンの立論には留保が必要であること、等である。 3 『作家の日記』において、コルニーロヴァの継娘殺人未遂、ゲルツェンの娘と縫工マリア・ボリーソヴァの自殺といった現実の事件報道に関する記事と、短編「おとなしい女」といった創作が交差する点に注目した。レナード・ディヴィスは、イギリス小説の前史において、新聞の事実性と小説の虚構性が未分化であったことを指摘しているが、こうした意味で、『作家の日記』におけるドストエフスキーの試みは小説の起源を反復し、小説のあり方を問い直す試みであったと言える。 4 『罪と罰』『作家の日記』に関する研究を手がかりに、19世紀ロシアのリアリズム小説における記号の存在様態を、ポストモダンと言われる現在の地平から考え直す試みをおこない、シンポジウム「19世紀ロシア文学という現在」で発表した(平成17年3月5日、東京大学)。その内容は、近くスラブ研究センターから刊行される予定である。
|