たとえ親権者による治療拒否が児童虐待を構成する不当なものであっても、刑法上は、治療行為に関する同意原則のもとで患者の意思に反する「専断的治療行為」が違法とされるのであり、このことの延長線上において、患者本人が未成年者であるために必要な判断能力を具備していない場合には、その親権者に意思に反する治療行為も刑法上違法とされる可能性がある。そのため、医師が未成年者の救命に不可欠な生命維持治療をその親権者の拒絶意思に反して実施しようとする場合、法的にきわめて不安定な状態におかれることになる。そこで、判断能力を有しない未成年者については同意原則が妥当せず、したがって親権者の同意を得ない生命維持治療であっても刑法上は違法とはならない点について、ドイツの法状況を手がかりにしながら論証することに努めた。ドイツでは、刑法上は親権者の意思に反する生命維持治療が常に違法と解されている一方で、民事上は、生命維持治療に対して親権濫用的な拒絶がなされた場合について、後見裁判所がドイツ民法典1666条--親権者により「子の福祉」が危殆化されたときに後見裁判所が必要な措置をとるべきことを定める--に基づいて介入し親権者に代わりその許可を与えるケースが散見される。そこで、こうしたケースに関する後見裁判所の裁判例なども分析しながら、生命維持治療の拒絶が親権濫用的とされる法的・理論的根拠を明らかにしていくこととした。そして、この作業の成果を刑法の治療行為論のなかに取り込むことにより、民法上親権濫用的とされる治療拒絶が同時に刑法上も無効であり、よって当該拒絶意思に反する生命維持治療については刑法上専断的治療行為とはならず適法である、という点について理論づけを試みた。また、いかなる場合に生命維持治療の拒絶が親権濫用的となるのかという法的基準についても、ドイツ民法典1666条に関する解釈論や後見裁判所の判例を手がかりにして明らかにするよう努めた。
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