本研究は、都市計画のような外側からの力だけで都市は変化するのではなく、「計画」という概念では計り知れない内側からの変化、すなわち土地所有者たちが都市を変えていったのではないかという視点により、東京の市街地宅地所有に関する実証的研究である。江戸の市街地の約7割を占めていた武家地がどのような経緯で明治4年の廃藩置県、そして地券発行、地租改正に至ったかを歴史的に分析しながら、明治11年の『東京地主案内』のデータベース化作業を進め、東京に現存する大名庭園について文献調査し、庭園もしくは公園として残った経緯をまとめ、一方で公園として保存されなかった旧大名所有地がどのような所有の変遷をたどったのか、地籍台帳のデータベースをもとに調査を行ってきた。本年度は、東京以外で、明治維新直後の武家屋敷がどのような公的機関に転用されたか、それが現在までどのように引き継がれているのかを、主に県庁舎周辺の土地利用の分析を通して考察した。全国の都道府県庁のおよそ半数の敷地が、城跡あるいは城跡に隣接しており、県立の博物館、美術館等を配しながら公園を形成しているところが多数あった。明治初期の武家地の公共施設用地や軍用地への転用は、近代的都市形成の第一歩であったが、維新政府が都市計画というビジョンを持たぬまま都市化が進んだことで、結果的に江戸からの基盤の上に都市が成立したといえよう。その後の明治5年の『銀座煉瓦街計画』、明治19年の『日比谷官庁集中計画』といった、欧米技術を導入した「計画」は日本では受け入れられず、都市の本質は、土地所有者の内的現実の中にあったと考える。
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