昨年から継続して、日本製鋼所室蘭製作所なちびに新日本製鉄室蘭製鉄所を対象に、いわゆる職工社宅街についての調査を行なった。特に新日本製鉄の登別市幌別地区を重点的に調査した。これら職工社宅街はこれまで、いわゆる職員社宅街とは異なり、生活文化および住宅地計画的側面からはネガティヴな評価を与えられてきた。しかし、社内報や聞き取り調査などから得られた幌別での調査結果をその他の職工社宅街に敷衍すると、従来言われてきたような、機能・効率を優先した工業生産的な側面は希薄で、画一的であるかのように見える配置計画や住戸平面計画のなかにも、生活上の利便性・快適性を考慮した計画があった。かつては職員社宅と比較して職工社宅を低く見る嫌いがあったのだろう。戦時体制下という時代背景もこの偏見を生んでいた。しかし現実には、戦時下の統制は工業に対して傾斜生産を行なっており、社宅街はその一環で生産された。住環境の整備による間接的な生産の効率化があった。東条英機が王子製紙苫小牧工場を視察した折、職工社宅に立ち寄った際、ゴミ箱を見「苫小牧にはまだ余裕があるな」といった一言が、このことを如実に物語っている。日本近代住宅史の中で欠けていた戦時体制化の「住宅」が、少なくとも北海道においては社宅街の中にあるといえる。 昨年現況調査を行なった香川県直島町の三菱マテリアル社宅について、追加調査および資料の収集を行なった。次年度も引き続き、社内報の閲覧、社宅街構成について調査および考察を行なう予定でいる。 さらに西日本の社宅事例として、岡山県倉敷市の倉敷紡績資料館において、紡績業社宅街の一事例として、資料の閲覧・収集を行なった。加えて、山口県宇部市に赴き、宇部市図書館において宇部興産関連の社宅に関する資料の閲覧・収集も行なった。
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