奄美大島に残存するリュウキュウアユは、東西(住用湾域と焼内湾域)の2集団に分化していることが示されてきた。しかし、これらがどのような過程を経て成立したのかについての結論は得られていない。 本年度は、mtDNA調節領域の配列分析とそれらの系図から両集団の関係について検討し、その成立過程についての基礎的仮説を構築することを目的とした。リュウキュウアユは2000年7月に住用湾域の4河川と焼内湾域の1河川から採集した28〜31個体(計150個体)を対象とし、ダイレクトシーケンスにより調節領域前半部(340bp)の配列を調べた。ハプロタイプ数は東集団(住用湾域)で8個、西集団(焼内湾域)で5個であった。集団間に共通のハプロタイプはみられず、両者に遺伝子流動がないことが支持された。各集団のハプロタイプは117番目のサイトの置換にでき、ハプロタイプ間の置換数は集団内で1〜4個、集団間で3〜7個であった。ネットワーク系図によりハプロタイプ間の系統関係を検討した結果、東集団のハプロタイプは単系統であったが、西集団のハプロタイプは東集団に対して側系統となっていた。このことから、奄美大島の集団は島の西側で最初に形成され、そこから少数の個体が移住して東集団を形成したと考えられた。また、東集団では最も高頻度のハプロタイプから低頻度のハプロタイプが派生しており、近い過去に集団サイズを増大させたことが示唆された。一方、西集団ではそのような関係はみられず、集団サイズに大きな変動が生じたことが示唆された。
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