2002年は、北朝鮮に拉致された5人日本人のニュースが独占した年であった。彼らは、ただ象徴的にJapanese Diasporaであるだけではなく、国内外学術界の「日本人論」に確かな"hard evidence"を提供したようである。つまり、日本は「単一民族」ではないということである。いままで国内外学術討論会で、しばしば「日本は単一民族なのか?」という疑問が討論されてきたが、大多数の日本人がこの問題を否定してきた。その代表例は1980年代中曽根康弘元首相の「人種差別」発言である。本研究は、旧満州におけるJapanese Diasporaに関する課題で、いわゆる「日本単一民族論」を根底から崩すものでもある。特に、globalizationの波で、日本はもはや「単一民族」の社会ではなくなった。もう一つの目的として、現地の社会におけるJapanese Diasporaの活動などと帰国後の社会体験を比較するものでもある。 旧満州(遼寧省)で、Japanese Diasporaが当時の社会に大きな影響を与えた。1930年代に建設された南満中学校・奉天中学校が現在でも存在しており、約半世紀に渡って学校として使用されてきている。だが、遼寧省において近代化建築ラッシュで、Japanese Diasporaの住宅は徐々に消えてゆき、新しい住宅街ができつつある。しかし、Japanese Diasporaの住宅を遺産として保存する動きもある。例えば、大連市では、Japanese Diasporaの旅館もそのまま旅館として使われており、Japanese Diasporaの住宅は、市の町作りの一環として大きな役割を果たしていることも事実である。現在、大連市政府は、過去のJapanese Diasporaの住宅を「日本人一条街」として造り直している。 また、日本に帰国したJapanese Diasporaの生活は、けっして豊かではなく、日本政府からの援助も北朝鮮に拉致された5人に対するものとは程遠く、殆どの人々は自立できないのが現状である。さらに、日本社会はかれらのことはどうしても「日本人」として受け入れていないのも現実である。基本的に、2002年度は主に日本語・中国語・英語資料収集や遼寧省のフィールド・ワークを行い、2003年度以降は、国際会議でJapanese Diasporaに関する論文を発表し、最終的には著書としてJapanese Diasporaの初校を完成し(in English)、アメリカの出版社で出版する予定である。
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