国内外の学会で、「グローバリズム」という議論は盛んになっている今日、"果たして世界中のどこの国が、globalizationの波に沿って、もっとも「国際化」しているか?"という声がよく聞かれる。国際化、あるいはglobalizationというものは、結局、その国が、どうして、どのぐらい、またどのように「移民」or「Diaspora」という国際問題に対して対応してきたかに深く関わっている。しばしば「日本は単一民族なのか?」という疑問が討論されてきたが、大多数の日本人が自分たちは「単一民族」と信じている。これによって、日本社会には、「Diaspora」或いは「移民」といった少数民族・少数派に対して「目に見えない」偏見・差別と「目に見える」イジメが堂々と行われている。例えば、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(熊本県合志町)に入所している元患者ら22人がアイレディース宮殿黒川温泉ホテル(熊本県南小国町)から宿泊を断られた事件(2003年11月18日)が典型的な例と言える。最高裁から「勝訴」の判決により、国の差別政策は違法という結果になったにもかかわらず、このような差別は続いている。前田ホテル総支配人は「ハンセン病に関する経緯は知っているが、(元患者が)一般社会に百パーセント受け入れられるほど理解が進んでいるとは思えない」と、宿泊を断った理由を説明した。つまり、自分と違ったグループの人々(少数派・少数民族)を決定的・徹底的に弾圧し、排除しようとするのが現在日本社会の姿である。 本研究のJapanese Diasporaも日本における少数派、いわゆる日本の少数民族である。1930年代、中国に在住しているJapanese Diasporaは日本の国策に利用され、「開拓民」として旧満州に強制移住させられ、日本人として長い年月に渡って異国で生活し、厳しい環境で生き抜いた人々である。彼らは、日本という国の政策の犠牲者となったと言っても過言ではない。数十年間の異国での生活によって、日本文化・生活習慣をもはや覚えていない今のJapanese Diasporaは、祖国に上陸したが、まるでf「異国人」のように日本で生活している。現在では、ボランティア中心でJapanese Diasporaを多方面で(例えば:精神的・経済的)支援しているが、なかなか将来の見えない人生を送っているのが、現状である。結局、日本政府から見放され、日本の親戚から軽蔑され、住んでいる周りの日本人からは差別されているJapanese Diasporaは、もはや希望さえ持っていないのが現状である。 米国が世界の移民国であるなら、シンガポールはアジアの移民国である。シンガポールの街角では、たびたびマレー人・中国人・アラブ人がいっしょに語り合う光景を見ることができる。このような光景は珍しいことではない。これが、シンガポール政府が中心的に民族間の差別・偏見に対する長年の国策の結果である。違った民族・違った文化を持つグループの人々は互い尊敬・尊重しあいながら、生活してきた人々の経験に基づく知恵である。一方、日本の街角では、同じような光景で中国人・韓国人・日本人がいっしょになっていることは、まず、ないであろう。そもそも、目本では、同じ人種であるJapanese Diasporaでさえ、人々から差別され、社会から排除され、国から見離された現状は、あまりにも悲しい。特に、日本は世界第二位の経済大国になった1980年代において、「日本人論」の高揚という国内外学術討論が、一層日本におけるJapanese Diasporaの状況を悪化させた原因でもある。むしろ、日本の「国際化」を半世紀以上遅れさせたと言えよう。「日本人論」はただ"大和民族純粋論"或いは"日本人国粋論"の議論にしかならず、日本人自身のnationalismを高めるのみであり、日本の「国際化」という目標には大きな障害となっている。他人の存在を認めないというのは、己の存続を破滅に導くことになる。
|