研究概要 |
化合物・物質の人知による合目的かつ効率的変換は化学の特質であり、最重要分野の一角を占めている。しかるべき方法論さえあればいかなる物質の分子構築も可能であり、真に有用な基本的方法論の開拓は革新的合成法の実現に直結する。本研究者はこの信念の基に研究を行い、分子触媒化学、とくに不斉合成の分野で世界を先導してきた。最近、本研究者の開拓した光学活性ジホスフィン2,2'-ビスジフェニルホスフィノ-1,1'-ビナフチル(BINAP)と1,2-ジフェニルエチレンジアミン(DPEN)をともに配位子とするルテニウム錯体触媒は、単純ケトン類の水素化に対して極めて高い活性と立体選択性を示す。触媒回転数は240万回に達する。この触媒反応の機構を明らかにすることは、これまで知られていなかった触媒作用の原理を導くことにつながり、化学の発展に大きく貢献できるものと考え検討を続けた。昨年度に引き続き、trans-RuH(η^1-BH_4)(binap)(dpen)を用いて水素化における速度論的および構造化学的解析を行った。特に、複核種(^1H,^<13>C,^<31>P,^<15>N)を利用した2D NMRおよびDPFGSE-NOEなど各種NMR実験を駆使して、アルコール溶液中におけるこの錯体の構造変化と動的挙動を追跡した。その結果、Ruに配位した1級アミンの水素とアルコール水素とが迅速に交換することが確認された。このアミン水素は高い酸性度をもつと予想される。また、BH_4-がRu上から解離し生成する不安定なRuカチオンと複数のアルコール分子に溶媒和されたアルコキシアニオンとの間に準安定な動的イオン対、すなわち触媒活性種が形成されることが示唆された。この過程は、trans-RuH(η^1-BH_4)(binap)(dpen)にアルコールを作用させることで容易に起こるため、塩基性条件を必要としないと考えられる。そしてこれらすべての解析結果は、本研究者が以前から提唱している、ケトン基質の水素化遷移状態における金属-配位子二官能性機構を支持する。昨年度に得られた知見と併せて反応機構の全容がほぼ明らかになったといえる。この水素化機構をさらに幅広く活用するために、最近新たにルテニウム錯体trans-RuCl_2(tolbinap)(pica)を開拓した。このものを用いて、これまで懸案であった、かさ高いケトンの不斉水素化における高い鏡像体過剰率を達成した。触媒回転数は10万回に達した。
|