4月、ロシア国立人文大学東洋文化・古代文化研究所紀要にロシア語論文を投稿した(同年10月掲載済)。『大阪朝日新聞』掲載の二葉亭四迷の翻訳紹介記事と、『オスヴォボジヂェーニエ』誌掲載原文記事の比較分析を試みた。二葉亭は原文のニュアンスの伝達のために大胆な意訳を施したのみならず、読者に有益な戦況の情報を積極的に提供しようとした。ロシアから帰国した後、以下、ア~ウの3本の学会口頭発表を行った。ア.第9回中欧・東欧研究国際協議会世界大会(神田外語大学(千葉市美浜区)、2016年8月5日)にて、ロシア人作家、V. ネミローヴィチ=ダンチェンコ(1848-1933)の日本滞在(1907-08)を、日本滞在記の分析から考察した。その日本に対する多様な印象は、彼を支援した日本人とロシア人の働きかけによりもたらされ、彼は日露戦争後のロシア人の日本観光を促進する役割を担った可能性がある。イ.2015年度日本ロシア文学会第65回大会研究発表会(埼玉大学(さいたま市桜区)、2016年11月8日)にて、1914年の大庭柯公のロシア軍従軍の実態について、同行した五名のロシア人記者たちの従軍記と比較考察し、大庭の従軍記が本格的なロシア研究の萌芽であったことを提示した。この成果に、大庭と共に従軍したイギリス人ロシア研究者、B. ペアズ(1867-1949)のテクストの分析を加えて改稿した論文を、所属大学院の『超域文化科学紀要』に投稿した(2016年4月現在、査読中)。ウ.来日ロシア人研究会第97回例会(青山学院大学(東京都渋谷区)、2016年2月6日)にて、ロシア人教授、A. ブラント(1855-1933)と大庭の交流の様相をテクストの分析から検討した。その結果、ブラントの回想記は大庭の対露認識を探る上で重要な一次資料であり、ブラントがアマチュアの日本研究家として活躍していた可能性が高いことが解明された。
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