本研究の目的は、十分に医療化されていない難治性疾患患者の困難および診断が当事者の生活に与える影響を解明し、医療化論の再考に向けた視点を提示することである。本年度は、これまでに得られたデータを総合して分析し、知見の精緻化を図るとともに分析過程で浮上した新たな課題について検討を行った。
これまでの調査から、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群または線維筋痛症との診断は、安心感の獲得、患い/苦しみの正統化、自責の念からの解放といった効果を病者にもたらす一方で、診断後も他者からは深刻でない病気または病気とすら見なされないこと(診断のパラドクス)が明らかとなった。先行研究の多くは、病者当人や診断直後の帰結を強調しているが、本研究の知見は、時間と他者という変数を考慮することなしには、診断の効果とその限界を同定し得ないことを示唆する。
また、分析過程では「病気を受け入れている/いない」といった話題の中に、慢性疾患、とりわけcontested illnessesの病者の生きづらさの一端を見いだし、主に「病気を受け入れていない」語りに注目して分析を行った。その結果、以下の知見を得た。(1)「病気を受け入れている/受け入れていない」という状態の責任は、病者だけではなく周囲の人々と共同で担われ得る。(2)「耳ざわりのいい」物語が組み立てられる中で病人像が規範化され、そこから逸脱した病者の生き方/在り方が否定され得る。(3)周囲の人間が病気を受け入れない場合、疾病受容は個人化され得る。以上の知見は、A. フランクのいう、病気を受け入れ苦しみを耐え抜いた者による「探求の語り」が病者以上に社会から求められており、そうした語りによる規範作用が病者を生きづらくさせることを示唆する。病いの語り研究は、病者の主体性の復権を促す一方で、それ自体が「倫理的暴力」として働く危険性を孕んでいることを指摘しないわけにはいかない。
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