1920~30年代の極東国際関係のなかのソ連と中国の関係を中心に、とりわけ以下の問題について研究を進めてきた。 (一)1936年12月、当時の中国の最高指導者の蒋介石が部下の張学良によって監禁された西安事変は、どのような背景のもとで起こったのか。これまで必ずしも十分に明らかにされてこなかったのが、中国のみならず極東国際関係を論じるうえで非常に重要なファクターであったソ連との関係である。本研究では、西安事変以前の数年間について、ソ連と蒋介石の関係をはじめとする当時の全体的な状況の構図の中でソ連と張学良の関係を位置づける試みをした。ソ連と張学良の関係については、ロシア語の公刊史料や未公刊史料とともに中国語文献を踏まえることにより、西安事変の背景となった諸事実を掘り当て、検証した。その結果、ソ連の全体的・体系的な極東政策(主に対日政策、対中政策)との関連で西安事変の背景を説明できることが明らかになった。 (二)1920年代初頭、ソヴィエト政府の極東政策の基本的な戦略は、日本とアメリカの対立を利用・促進することであった。この戦略を具体的に実施した重要な人物の一人が、ボリス・スクヴィルスキー(Boris E. Skvirsky)である。スクヴィルスキーは1920年の初夏、ソヴィエト政府の影響のもとで沿海州に存在した極東臨時政府の外務大臣として、アメリカの石油資本・シンクレア石油との間で北樺太石油利権についての交渉を進めた。当時、日本は北樺太を含む極東ロシア地域で勢力を拡大していた。スクヴィルスキーはシンクレア石油に北樺太石油利権を供与し、アメリカに日本を牽制させることを狙ったと考えられる。なお、この交渉には中国に深いかかわりをもつ人物も介在しており、中ソ関係という関心からも、今後の研究を進めていく予定である。
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