本年度は、季御読経(平安時代の年中行事のひとつで、春秋二季、宮中で僧侶たちに『大般若経』を読経させる法会)の成立史を中心に研究を行い、日本史研究会古代史部会で口頭発表を行った。 まず、東アジアにおける『大般若経』の利用について考察し、中国では『大般若経』のような長大な経典は好まれなかったのに対して、朝鮮・日本では比較的『大般若経』が重視されたのではないかとの見通しを得た。今後、さらに検討を続けていきたい。 8世紀初頭頃、新羅から日本に『大般若経』600巻が伝来したが、当時、日本で把握されていた「一切経」は1000巻に満たない状況であった。『大般若経』は、日本における従来の「一切経」認識を大きく覆し、以後重視されたと思われる。また、8世紀前半には、少なくとも和銅元年(708)と天平元年(729)の二度、毎年『大般若経』の読経を行うという規定が成立した。しかし、これらの年一度の『大般若経』読経は定着しなかったことを明らかにした。 その後、奈良末期から平安初期にかけて、卜占によって災異の原因や今後発生する災害を知ることができるようになり、国家は積極的に防災策を講じるようになる。季御読経成立の最大の要因は、この防災方針の変化に求められる。この視点は、従来の法会研究にはほとんど見られなかったものであり、重要な成果である。
また、「書評 大艸啓著『奈良時代の官人社会と仏教』」を『ヒストリア』第250号に掲載した。中央法会と地方法会、国家的法会と私的法会の関係など、多くの着想を得ることができた。
|