研究実績の概要 |
本年度は論説として「十五世紀後半の中越間における使節往還―一四七五年ベトナム使節の雲南到来とその背景―」を『東洋学報』第97巻第4号(2016年3月)に発表した。本稿は、民間における周辺国との私的な交通や交易が禁止された明朝の「朝貢一元体制」における公的な使節の往還の意義を考察したものである。具体的には、中越間の使節往来に関わる各アクターの主体性を多面的に描写し、私貨を携帯し中国国内での交易活動を企図するベトナム使節、明使の派遣を通して黎朝との交渉を通じ私利をはかる雲南鎮守太監、口実を設けてはベトナム使節から物品を略取する龍州・憑祥の土官という、各アクターが各々の方策で利益獲得を目指す構図を明らかにし、明朝の「朝貢一元体制」のもとでは公的な使節往来が重要な営利の機会であったことを指摘した。また福岡大学東洋史学研究会(福岡, 福岡大学, 2015年7月18日)でおこなった発表で本論説の方向性を発展させ、15世紀後半における中越間の使節往来とその中での広西土官の主体性や役割を論じた。 第113回史学会大会東洋史部会(東京, 東京大学, 2015年11月15日)では「17世紀後半における北部ベトナムへの中国商人の進出―諒山地域を中心に―」と題する発表をおこなった。本報告では、ベトナムの諒山地域に焦点を当てて17世紀後半の中国広西~北部ベトナム間の内陸交易を考察し、17世紀後半は広西から北部ベトナムへ河川交通を通じて広東商人など中国商人の活動が拡大していく時期であること、その結果として諒山地域に華人の会館が設立され長期滞在する中国商人がいたこと、諒山地域に市場町が形成されたことなどを指摘した。今後は考察時期を近世後期(17世紀~19世紀前半)に広げつつ、当該期の北部ベトナムから南中国にかけてのヒト・モノの動きをより立体的に捉え、その中に諒山を位置付けていく必要がある。
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