研究課題/領域番号 |
14J01984
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研究機関 | 京都府立大学 |
研究代表者 |
井口 千雪 京都府立大学, 文学部, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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キーワード | 版本 / 葉逢春本 / 嘉靖壬午序本 / 劉龍田本 / 原演義 / 羅貫中原本 / 武定侯 / 郭勛 |
研究実績の概要 |
本年度はこれまでの研究成果をとりまとめ、著書『三國志演義成立史の研究』を刊行した(汲古書院/2016年3月7日)。 前年度までの発表論文において、①明代に刊刻された『三国志演義』諸版本の本文の継承関係、②原作者による執筆時、及び本文継承過程での改変において、史書(『三国志』・『資治通鑑綱目』等)がどのように利用されたか、という二点について論じ、執筆手法を明らかにしてきた。ここでその発表論文を併せ、『三国志演義』が初めて創作されてから現在の形に至るまでに、どのような人々によって、どのような方法で制作され刊行されたのか、その成立史の体系づけを行った。 また、著書の約三分の二は本年度に書き下ろした研究成果である。 第一に、地方志などの歴史的資料を根拠として、『三国志演義』の一部に現在では失われてしまった民間伝承の片鱗が残っている可能性を指摘した(馬超・馬岱など馬氏の一族に関わる英雄伝説が雲南地方に存在し、それが小説に利用された可能性がある)。これにより、この小説の制作と地域性との関わりが問題点として浮上した。 第二に、明刻の諸版本のほぼ全てが民間の書坊による刊行物の体裁(小字・小判・挿絵などの特徴)を持つ中で、「嘉靖壬午序本」と称される版本(上海図書館等蔵)のみ政府刊行物(司礼監刻本)の体裁(大字・大判の美しい版刻)を持つことに着目し、『三国志演義』の刊行者と読者層の幅広さについて論じた。また嘉靖壬午序本の冒頭に付された序文は明代の勲戚(勲功を挙げた重臣とその子孫)武定侯郭勛が「修髯子」の名で著したものであることを実証し、そのような高位にあった人物が刊行に参与したことが、元来は大衆(平民)を読者層とした大衆文学が、高級知識人にまで受け入れられるに至った要因であることを指摘した。 以上の研究成果から、大衆文学の発生と発展の軌跡を辿ることが可能となりつつある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初は『三国志演義』諸版本の本文の継承関係を系統付け、歴史書の利用のされ方を考察し、原作者の執筆手法と後世の本文改変者による作業内容を明らかにすることを目標としていた。しかし本年の研究ではそれだけにとどまらず、版本の形態と刊行者に着目して大衆文学の受容がいかなる様相を呈していたかという問題にまで踏み込んで論じることができ、著書として研究成果を発表するに至った。 その中には新しい知見も多く、特に武定侯郭勛が『三国志演義』の刊行に参与していた事実を実証できたことは特筆すべき研究成果である。これにより、「大衆文学がどのような人々により制作・刊行され、どのような読者層に受容され、発展してきたのか」という研究課題の解決に向けて、大きな進歩が見られた。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、①武定侯郭勛による『三国志演義』の刻書動機と大衆文学に対する意識、②『三国志演義』と三国故事を題材とする戯曲作品の相互関係、という二点の問題に主眼を置き、『三国志演義』の制作・刊行と受容のされ方、ひいては大衆文学の発展の軌跡について考察を深める。 ①については、まず武定侯の始祖である郭英(明の開国の功臣)とその子孫らについての事跡を、『明実録』といった歴史書、及び『毓慶勲懿集』(郭勛による刊行/歴代の武定侯郭氏に関わる詔勅や詩文を収録)といった書物の記録を通して明らかにする。武定侯郭氏が朝廷でどのような地位を占めてきたのか、その興廃を辿った上で、日本・中国各地に現存する武定侯郭氏による刊行物を調査して各書の刻書動機を明らかにし、武定侯郭氏がどのような意図を以て刻書活動を行っていたのか、その意識を炙り出す。そして、郭勛のような高位にあった人物が、いかなる目的を持って大衆(平民)向けの『三国志演義』という作品を刊行したのかを探る。 ②については、三国故事を題材とする明代戯曲の作品について、各地に所蔵されている文献の調査、及び影印本・排印本の収集を行い、『三国志演義』への影響を考察する。各戯曲作品が、民間の大衆に親しまれていた作品か、高級知識人の間で娯しまれていた作品かという点に着目し、それらを小説に取り入れた人間の意図を探るとともに、受容のあり方の変化を辿る。 最終的には、『三国志演義』という作品を軸に、文学作品の刊行と受容のメカニズム、文学作品と社会の文化的発展について考察する。
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