申請者は近代日本における身体技法のもつ意味を解明するために、法学者筧克彦が考案した「日本体操(やまとばたらき)」を例にとりあげて、その研究を行った。筧克彦(1872年~1961年)は法学者でありながら、「神ながらの道」「古神道」と呼ばれる独自の神道思想を唱えた人物である。東京帝国大学法学部の教授であった筧は、大正天皇の皇后である貞明皇后をはじめ戦前多くの有力者の支持を集めていた。しかも、筧とその後援者たちは、単に筧の教えを信奉していただけでなく、その学説を広める為に体操や健康法を通した人々の身体への働きかけを積極的に行っていた。 そこで申請者は、筧の学説と活動を検討し、当時の日本の支配者層が身体を通してどのように国民を教化しようとしたのかについて解明することを試みた。「日本体操」(皇国運動)とは、筧によって考案された体操と祈祷の所作を取り入れた身体技法である。筧は君民一体の国体を体験させるために、身体技法を重視した。その意図は、毎日皆で一緒にこの体操を行うことで、自分たちが万世一系・君民一体の国体の一員であることを自覚させ、さらには周囲の人間と共に健康的な体操を実践することで、模範的な日本人になることができるのだと教えこむことにあった。そしてこの精神体操において、神話の明るい場面を徹底的に反復し、声に出して暗唱させることで、人心を結合し、人々を教え導こうとしたのである。 こうした筧及び彼の弟子たちの活動は国内だけでなく、国外にも大きく影響を与えるようになった。筧とその弟子たちは、宮中の威光を巧みに取り入れつつ、日本体操を行うことで、万世一系・一君万民の国体の保全に参加し、模範的日本人になれると人々に働きかけていったのである。その影響力の範囲は、日本国内だけでなく植民地も含む帝国としての日本の全域に及ぶものであった。
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