研究実績の概要 |
筆者の研究の主題はペルシア語の中期(主にササーン朝期)から近世にかけての言語変化を明らかにし, 特に初期(凡そ 8-12 世紀)の近世ペルシア語の文法を記述することである。この研究目的のため執筆者は該当言語の文献研究を行っている。本年度では過去分詞の機能・用法の変遷について研究し, また, 接続法及び動詞前辞 be の用法に関する初期的研究を行った。 過去語幹を*-akaで拡張することで作られる過去分詞は, 中期西イラン語の段階では主に形容詞的用法で用いられていたが, 近世ペルシア語になると完了や受動を表すために, 動詞パラダイムの中でより頻繁に用いられるようになった。執筆者は過去分詞の動詞構文を調査し, 語順や動詞前辞との位置関係を根拠に, 動詞構文において中期西イラン語から近世ペルシア語にかけて過去分詞の性質が変化していることを示した。また, 初期近世ペルシア語においては過去分詞によって表わされる完了が能格的であることから, この段階でも過去分詞が形容詞的性質を強く有していることを確認したが, 一方で現代のペルシア語のように対格的に用いられている例のあることから, 完了においても対格型へと変化する萌芽を見ることが出来た。 また接続法に関しては, 中期西イラン語では接続法を表す独自の形式が用いられるが, 近世ペルシア語では動詞前辞 be によって表わされるようになる。執筆者は初期近世ペルシア語において それぞれの形式の用いられる状況を確認し, それぞれの機能の違いを見た。また, be はその機能や用いられる環境に不明な点が多いが, ヘブライ語の翻訳文献を手掛かりとして一定の知見を得ている。 本研究はイラン語学における重要な問題というばかりでなく, 言語変化のデータを提供し, その動機を解明する点で, 歴史言語学に貢献するものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究には第一に中期西イラン語, 初期近世ペルシア語の文献研究が必要であり, 執筆者はこれまで中期西イラン語のマニ教文献と初期ユダヤペルシア語の文献を重点的に扱ってきた。一方でパフラヴィ文献やアラビア文字の初期近世ペルシア語文献に関しては調査が不足している。またイラン語の言語変化を扱う以上, 古代ペルシア語, アヴェスタ語から現在のペルシア語まで幅広く手掛ける必要がある。加えて執筆者は初期ユダヤペルシア語に特に興味を持って取り組んでおり, その中でも聖書の翻訳文献に着目しているが, ペルシア語がどのように聖書を翻訳したか知るためにも, よりヘブライ語に習熟する必要を感じている。また, ユダヤ教と当時のイラン語圏におけるユダヤ人の在り方についての理解が不可欠である。 研究課題である言語変化の記述に関しては, 現在までに関係詞, 過去分詞と接続法を扱い一定の知見を得ており, 順調と言える。一方でより広範な文献研究を通じて研究結果を補強することが必要であるし, 例えば過去分詞の研究は能格型言語から対格型言語への変化に通じるため, 研究そのものを一層発展させることが重要と言える。従って本研究には多くの課題が残されている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究では引き続き中世ペルシア語から近世ペルシア語にかけての言語変化の記述を行う。昨年度の続きとして, 近世ペルシア語における法体系の変遷を扱うこととする。また, 特にパフラヴィ文献で見られる過去分詞の converb としての用法に着目したい。 それに加えて, 言語変化の記述のみならず, 文献から紐解ける言語の使用状況についても考証していきたいと考えている。具体的には初期ユダヤペルシア語文献における母音補助記号に着目している。宗教文献など, 文献によっては母音補助記号が語に付せられていることがある。母音補助記号は読みの紛らわしい語を区別するために用いられる (例: abr - abar) 他, 書き手・読み手にとり馴染の無い語に付せられると考えられる。従って母音補助記号は当時のペルシア語においてヘブライ語やアラビア語がどの程度受容されていたか知る手掛かりになると言える。 また, 初期近世ペルシア語が多言語から成ることから, 異なる音体系・文法を持つ言語がどのように取り入れられたか注目したい。そのためにも翻訳文献に着目し, どのような対応関係があるか研究することとする。 このような研究に基づき, 形成期の近世ペルシア語の多様性に着目して, 初期近世ペルシア語の文法を記述する予定である。
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