研究課題/領域番号 |
14J04377
|
研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
山口 元樹 立教大学, 文学部, 特別研究員(PD)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-25 – 2017-03-31
|
キーワード | インドネシア:エジプト / イスラーム / ナショナリズム / 近現代史 / 東洋史 |
研究実績の概要 |
本研究は、1930年代のインドネシア(当時のオランダ領東インド)のムスリム社会の動向を分析することで、国民国家形成期のインドネシアにおけるイスラーム運動の意義を明らかにすることを目的としている。平成26年度には、主に次の2つの問題に取り組んだ。 第一に、1920年代後半から1942年までのインドネシアのムスリム社会におけるナショナリズムをめぐる議論である。アラブ地域のイスラーム指導者たちがインドネシア・ナショナリズムに関して議論をしており、それがインドネシアでも影響力を持ったこと、そして1930年代末にインドネシアのムスリム社会内で急進的イスラーム主義者とムスリム・ナショナリストとの間で対立が生じたことの二点を明らかにした。 第二に、1922年から1932年にかけて開かれたインドネシアのイスラーム団体による団結の試みである東インド・イスラーム会議である。特に、それらの会議の中でアラブ人と現地ムスリムとの関係の変化を分析し、インドネシアのイスラーム運動と社会統合について考察した。ここでは本研究課題より前の時代である1920年代を中心に扱っているが、1930年代にインドネシアのムスリム社会が直面した社会統合やナショナリズムの問題とも連続性があり考慮する必要がある。 また、平成26年度は、国内外で3回の資料調査を行った。いずれも、本研究が中心的に依拠する史料であるインドネシア及びアラブ地域(エジプト)で発行された定期刊行物(新聞・雑誌)の調査・収集を主な目的としている。それぞれの期間と場所は、①2014年8月から9月までオランダ(ライデン)、②2014年11月南山大学・京都大学、③2015年2月から3月までインドネシア(ジャカルタ・スラバヤ)である。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究計画では、初年度に「インドネシアの問題に関するインドネシア及びアラブ地域のムスリムの見解」に取り組むことを予定していた。平成26年度には、実際にこの問題に関して研究を進め、その成果を学会発表の形でまとめることができた。その中で、アラブ地域のイスラーム指導者たちがインドネシア・ナショナリズムに関する議論を積極的に行っていること、さら、その議論がインドネシアのムスリム社会に対して強い影響力を持ったことを明らかにした。本研究はその位置づけ・意義として、インドネシアのイスラーム運動とイスラーム世界との関係を考察することをあげている。上述の学会発表はその一端を明らかにすることができたものと言える。ただし、年度内に成果を論文にするまでには至らなかった。 また、国外ではオランダとインドネシア、国内では南山大学と京都大学で資料調査を行い、研究に用いる20世紀前半にインドネシア及びエジプトで発行された定期刊行物のうち主要なものを調査・収集することができた。当初はエジプトでの調査も計画としてあげていたが、政情不安などを理由に次年度以降に行うことにした。
|
今後の研究の推進方策 |
当面は引き続き次の2つの問題に取り組んでいく。第一に、『ファトフ』に掲載されたインドネシア(さらにはマレーシアやシンガポール)に関連する記事・論説をまとめることである。『ファトフ』はエジプトのカイロで編集発行されたイスラーム系有力誌であり、これまでの調査から特に1930年代のインドネシアで広く流通していたことが分かった。この雑誌を検討することで、アラブ地域とインドネシアのムスリム社会の関係の一端が明らかにできると考えられる。ここでは、研究計画の中であげた「アラブ地域の問題に関するインドネシア及びアラブ地域のムスリム社会の見解」に取り組んでいく予定である。 第二に、1930年代末から1940年代初めのインドネシアで起こったナショナリズムをめぐる議論である。従来の研究では、この時期に関しては、世俗的ナショナリスト対イスラーム主義者の対立に注目が集まってきた。しかし、この研究では、ムスリム社会内にも意見の相違が存在したことに着目していく。また、その議論の中では、アラブ地域の著名な知識人の言説がしばしば引用されている。それらを検討することで、「イスラーム世界」の中心からの影響がインドネシアのムスリムの間でいかにして受容されたのかを明らかにしたい。
|