本年度は、三年間の研究成果を総合する作業を進めつつ、とりわけ後期ラカンの仕事における知と真理、享楽、事後性、症状といった重要テーマについて研究し、その意義を解明した。このなかで、言語の物質性の問題に関連して、マテーム(ラカンが用いた数式的なエクリチュール)の位置づけを追跡した。また、うえのテーマの研究を深めながら、ラカン派精神分析における制度設計の問題に光をあてた。 本年度の研究によって明らかになったのは、とりわけ60年代半ば以降に「知と真理の分離」というテーマがラカン理論の中心を占めるようになったことが、マテームの位置づけを考えるうえで決定的だということである。言い換えれば、デカルト以降真理と決定的に切り離された知が、それにもかかわらず真理に触れうるとすれば、それはいかなる知なのか、ということが根本問題となる。50年代のラカンは真理を象徴界の水準に位置づけていたが、1959‐1960年の『精神分析の倫理』以降、象徴界のリミットとしての現実界が前景化してきたことで、真理の位置づけそのものが移動してゆく。すなわち、言語が現実界をとらえ損なうという契機こそが、主体と真理の関係を規定することになるのである。それゆえに60年代後半のラカンは、意味作用の外部にあるマテームによる表記を、言語がとらえ損なう現実界を追い詰める手段としてとらえることとなる。この点で、マテームによって示される知は、ラカンにおける論理学の位置づけと相関的である。ラカン理論におけるこうした方向性は、『アンコール』において示された性別化の論理式においてひとつの頂点をむかえる。以上のようなコンテクストにおいて、ラカン派における分析家養成の理念とその具体的な制度化の内実を分析し、ラカンが一貫して追究した精神分析の終結というテーマの展開プロセスを明らかにした。
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