本研究は、民衆宗教の先駆とされる如来教の開教・展開とその意義を、従来の教祖研究、教団研究、教義研究を踏まえつつも、民衆宗教が登場した社会の中から捉え直そうとするものであり、また同時に近代化論の中で近代性を託されながら評価されてきた開教期の民衆宗教に対して、近代自体が問われるようになった現在の研究環境の中での新たな語りを模索する試みでもある。 これまでの私の研究では同時代的な社会的動向に即しながら如来教の開教の意味と展開の意義を分析してきたが、本年度はより民衆の信仰の実態に近い様相から如来教を考えていくことを課題とした。具体的には、如来教説教の中に何度も登場する秋葉信仰に注目し、その信仰の展開や信仰者の様子と対峙したものとして如来教を捉えることで、宗教社会の力学の中でいかにして自らの位置を確立していったかの過程を描こうとした。このため、フィールドである名古屋での史料調査と史料整理・判読に多くの時間を割き、これに関連する学会報告を数度行った。その都度、いただいた助言に従い、研究を深化させ、大きく分けて二点の成果を挙げることができたと考えている。 【①近世秋葉講の実態の解明】これまでの秋葉信仰集団である秋葉講の実態研究は、史料が乏しく、近代の民俗調査にもとづくものがほとんどであったが、鳴海宿村役人下郷家に残る文書を用いて、近世期における活動の一端を明らかにした。 【②他信仰と対峙しながら自らの世界観を作り上げた過程を描く】以上の秋葉信仰の研究をもとにして、如来教が説教の中で、秋葉を語る場面に注目し、同時代的な社会環境に柔軟に対応しながら、民衆宗教が自らの世界を再構成していく様を明らかにした。 その他、同じく民衆宗教とされる大本研究者、金光教研究者と交流し、また信者階層や民衆性において共通項を持つ修験道文書調査への参加を通して、方法論と視野の拡大をはかった。
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