研究課題/領域番号 |
14J07037
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研究機関 | 大阪市立大学 |
研究代表者 |
北野 智也 大阪市立大学, 大学院文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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キーワード | 砂糖 / 和製砂糖問屋 / 唐紅毛砂糖荒物仲買 / 高松藩 / 土佐藩 |
研究実績の概要 |
「佐古文庫」や「日本経済史資料」を中心に分析し、近世後期大坂における唐紅毛砂糖荒物仲買(以下、砂糖仲買とする)仲間の展開に焦点を絞って考察した。主な成果は、①流通統制を契機とした砂糖仲買仲間と引請人・和製砂糖問屋の社会的関係の変容の解明、②砂糖仲買と無株人との競合の具体的ありようの解明である。 ①化政期には、砂糖仲買仲間は引請人(和糖の荷請業者)を把握し、従属的関係を築く形で、実質的に和糖の買い付けを独占していた。しかし天保5年の流通統制によって引請人が和製砂糖問屋へと再編され、和糖の買い付けが砂糖仲買に限定されなかったことで、砂糖仲買による買い付け独占は綻び、砂糖仲買は同様の取引を行う無株人との競合を余儀なくされた。 ②天保末年に町奉行所は、無株人が仲買同様に取引することを禁止するものの、自己消費分に限って砂糖仲買以外にも和糖の買い付けを公認する。無株人はこの自己消費名目を梃に、砂糖仲買仲間による独占的買い付けの実態をさらに掘り崩していくのである。また慶応4年に砂糖仲買仲間が無株人らの一部を仲間に包摂する実態も確認した。 この競合の中で注目されるのは、砂糖仲買仲間が仲間の基幹論理として和糖の買い付け独占を繰り返し確認することである。この根底には、化政期以前に砂糖仲買が輸入砂糖の買い付けを独占していく中で形成された、輸入砂糖の買い付け独占の論理があり、これを化政期以来激増した和糖についても援用しているのである。ここからは、砂糖流通における品種の転換(輸入砂糖から和糖)が従前の流通構造を変容させると共に、担い手の基幹論理も従前のあり方と不可分な形で変容させたことがうかがえるのである。 ①②の成果は従来の砂糖仲買像を改めるものであり、大坂における砂糖の流通構造分析を行う際の一基盤となるものであると考える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は近世大坂における砂糖の流通構造を明らかにする一環として、①「佐古文庫」や「日本経済史資料」の分析を重点的に行い、砂糖仲買の存在形態や引請人・和製砂糖問屋との関係を具体的に明らかにすること、②「菊池家文書」の分析を開始し、菊池家のイエ経営の検討を行うこと、③和糖の産地(高松藩)における史料収集を行うことを課題とした。 ①については、近世後期大坂における砂糖の流通構造と取引の担い手たちの諸関係の一端を、砂糖仲買に即して明らかにすることができた。また、その成果は近々投稿予定である。したがって、順調に研究計画を進めることができたと考える。 ②・③については、③に挙げた史料収集において、「渡辺家文書」および「逸身家文書」という研究計画を遂行する上で重要な史料を発見することができたため、その収集・分析を優先的に行った。特に本年度は、両文書について蓄積されている先行研究を精読することで、具体的なイエ経営や産地における和糖の流通動向について学び、また先行研究に孕まれる課題についても自覚化することができた。したがって、概ね順調に研究計画を進めることができたと考える。 以上から、②については計画を変更したものの、いずれについても予定していた課題に十分に取り組み、概ね予定通りの成果を得ることができたと評価できる。
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今後の研究の推進方策 |
大坂における砂糖の流通構造分析を和製砂糖問屋と砂糖仲買に即してさらに進めていくことが課題である。その際に、和糖の産地(高松藩・土佐藩)における生産・流通のありようについても分析を進め、砂糖の生産・流通を総体として把握することを意識する。 具体的には、「渡辺家文書」の分析に取り組む。渡辺家は高松藩において大庄屋をつとめた家であり、嘉永期には大坂における砂糖会所の運営にも携わっている。本史料群は、高松藩を事例に、近世における和糖の生産・流通を総体として検討することが可能であり、既に豊富な研究も蓄積されている。しかし従来の研究は、和糖が大坂へ輸送されるまでの局面に分析が留まる傾向があり、大坂や江戸での取引も含めた生産・流通の総体としての把握は不十分と言わざるを得ない状況である。したがって、本史料群の分析を通じて、渡辺家に即した和糖流通の総体的把握と、大坂における砂糖の流通構造との統一的把握が課題である。 また、「逸身家文書」の分析にも取り組む。逸身家は18世紀初頭頃から大坂で両替商を営んだ家であり、幕末には土佐藩や熊本藩などにも大名貸を行っていた。本史料群に含まれる「土佐用日記」は、逸身家の手代である丈助が作成したものであり、慶応期における土佐藩の藩札発行の経過をうかがうことができる。ここでは、土佐藩製の砂糖を担保として逸身家が土佐藩の銀主となっており、土佐藩における砂糖の国産政策とその実態を具体的に考察することができる史料である。逸身家が直接砂糖の取引に携わったことは確認できないが、化政期から幕末まで砂糖仲買をつとめた家との婚礼などでの親交は確認でき、砂糖流通の総体的把握においても重要な糸口になりうると考えている。
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