研究課題/領域番号 |
14J07204
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
三浦 雄城 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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キーワード | 符瑞 / 儒教 / 経学 / 讖緯 / 政治思想 / 社会規範 |
研究実績の概要 |
昨年の検討成果をもとに、第113回史学会大会(11月15日)において「両漢期における儒家的符瑞思想の展開」という題で報告を行い、以下のことを明らかにした。 前漢では文・武帝期に形成された、巫祝や女楽などを介して天地鬼神を祭る郊祀が行われ、皇帝はその中で符瑞を捉えた。一方、昭帝期の塩鉄会議と宣帝期の石渠閣会議を経て官界での勢力を拡大した儒家は、誠により徳澤を天地万物に加えて符瑞を招来する君主象を形成した。これを背景に、成帝期の儒家は誠を致して天地を親祭する南北郊祀を要請した。難航した同改革を平帝期の王莽が完了し得たのは、劉向以来の経文を重視する姿勢による。この姿勢は劉向・匡衡ら儒家がもつ神秘的な経書観と結びつき、孔子制作とされる緯書に多くの符瑞思想を取り込む結果となった。この過程で孝も神秘化して誠を媒介に天地と結びつき、符瑞の招来を可能としつつ王莽の郊祀改革や後漢郊祀に継承された。後漢章帝期の白虎観会議では、皇帝は孝としての郊祀で天の秩序を承け、自ら徳澤を天地万物に加えて符瑞を招来する存在と公認された。 徳を起点とする符瑞思想を形成した儒教は、天にも等しいとされた皇帝や天の降す符瑞を人道の下に置くことを可能としつつ、社会に浸透していったと考えられる。よって、徳と政治という人道に応じて現れる符瑞は、儒教の価値観を共有する社会においては有徳の象徴とされ、皇帝の権威は高まる結果となったのである。かく礼制改革の完成や孝の実践者としての神秘的皇帝像の公認は、元帝期の儒家官僚進出のみからは直接導出できないのであり、孝による誠の取り込み、神秘的経書観の経文主義への反映、その一結果としての緯書の登場により、彼らの教説が形を変えて国家・社会に浸透する必要があった。だとすれば、儒教と国家・社会との関係を考える上で、前漢末・後漢初期は多大な重要性をもつ時期と考えてよい
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度の検討結果を学会で報告し、論文雑誌に投稿するところまで漕ぎ着けた。またその続きとなる論文も作成途中にある。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの漢代における符瑞の検討は儒教を中心に行ってきたが、続く魏晋南北朝は儒教不振の時代と言われる。しかしその一方で史書に符瑞を専門に扱う部門が生まれ、符瑞出現の報告数も漢代に比べ激増した。こうした事実を、礼と史学という観点から検討を加えたい。
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