今年度は研究の全体的な枠組みを大幅に見直したため、論文や学会発表という形での成果はなかったが、より正確な問題設定を目指し研究を遂行した。 テクスト解釈における解釈者の恣意性という問題は、自作について理論的に語る機会の少なかったランボーを研究する際にはとりわけ大きな困難として立ち現れる。この点について、ランボーの韻文詩に対するスティーヴ・マーフィーのアプローチは方法論的に洗練されたものであり、同時代の読者に対しどのような効果を与えることを狙ってランボーがしかじかの表現を用いたのかを明らかにすることで、過去のテクストを現在の読者が解釈しようとする際に避けがたくつきまとう恣意性をたくみに回避しながら、一連の卓越したミクロレクチュールを実現した。しかしながら社会=政治史的な文脈を重視する立場は、ことがランボーの創作の全体像にまで及ぶと、作品を現実準拠的・寓意的なメッセージへ、つまりテクストをコンテクストへ、一元的に還元しようとするきらいがある。 これに対し本研究は、ランボーのテクストがいくつもの二元性から成り立っているという立場を取る。この直観的な命題を検証可能な方法によって論証するため、まず、文献学的な基盤から出発することにした。たとえば1870年から翌年にかけての初期詩篇については、おもにイザンバールとデメニーとヴェルレーヌの3人によって作品原稿が分かち持たれており、程度に差はあるものの、資料としてまとまりを成している 。また、ランボーが自作韻文詩を引用した書簡も残されている。これらは、伝記的・社会史的コンテクストとは別の次元で、諸詩篇を文脈において把握することを可能にするものである。そしてその文脈を踏まえたうえで、直喩と隠喩に着目しつつ内在的なテクスト分析に着手し、さらに、活喩法、反語法、二重の署名、脚韻の分析をつうじて、間テクスト的な読解の可能性について検討した。
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