前年度に引き続き、1970年代軍政期を含むアルゼンチンの「国家テロリズム」をめぐって現在まで続く真実究明・責任追及の活動やそれをめぐる議論を対象に、17人の「日系失踪者」の事例に基づき、これまで見過ごされてきた人種・移民論の論点からの問い直しを進めた。この課題は、アルゼンチンにおける日本人移民の子孫の経験をアルゼンチン独自の移民・人種論の文脈に即して歴史的に位置づける上で、20世紀を通じたアルゼンチン政治における「人種主義の不在」をどう理解するかという不可避の問題に取り組む方法として位置づけた。具体的には以下の諸点で進展があった。 1)過去の国家暴力をめぐる「記憶の国民化」に抗する運動として「日系失踪者家族会」の活動を提示することで、アルゼンチン社会の「人種・民族問題」を1990年以降のものとする通念を批判し、「人種差別の不在」言説が人種的マイノリティの社会参加を制限してきたことを論じた。 2)「人種差別の不在」言説にかかわって、一般に人種差別とはみなされていない日常的な実践や考えに現れるアルゼンチン社会の人種主義の独自性を、日本人移民とくにその子の世代(二世)の経験に注目して明らかにした(論文として発表)。暴力や直接的な攻撃・排除の行為がないことから「やわらかな人種主義」とも呼べるこのような現実は、アルゼンチンに限らず20世紀後半以降の多くの社会で見られる人種主義の現代的傾向の一端であることも指摘した。 3)「日系失踪者」のうち遺体の身元が特定され死亡が確認された2人の親族へのインタビューに基づき、「死」と「失踪」の関係について考察し、学会で報告した。文化人類学的研究で「失踪」は「特殊な死」として議論されてきたが、本報告では「死」とは決定的に異なる「失踪」の特徴に着目し、アルゼンチン社会に「失踪者の文化」と呼ぶべき新たな実践・現象がみられるという視点を提示した。
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