17-18世紀のハルハ=モンゴルの権力構造を明らかにすることを目的とする本研究では、政治・軍事・宗教の諸側面から、ハルハの全体像を解明することに挑戦してきた。 今年度取り上げたのは、17世紀後半のハルハとマンジュ人王朝たる大清との交渉過程のキーワードであるザサグ(扎薩克/man. jasak)号である。ハルハは17世紀中葉以降清と密接な関係を持ち、1691年に正式に服属する。ザサグとは、清側が服属後のザサグ旗(清が外藩諸部に設置した行政組織)の長官として置いた官職である。この官職は清が独自に生み出したものと長らく認識されてきたが、実は元来ハルハに同名の地位・称号が存在したことが近年の研究で明らかになっている。 そこで私は、独立期のハルハにおいてザサグがいかなる地位であったのかを、服属前のモンゴルで独自に編纂されたモンゴル年代記(『アサラクチ史』等)、法典史料(「白樺法典」)、『清内閣蒙古堂档』(清と内陸アジア諸勢力との間で取り交わされた外交文書を収録した史料集、2005年刊行)等の档案史料を用いて分析した。それを通して、17世紀後半のハルハ・清関係を清の支配がハルハに及ぶ過程としてのみ捉えるのではなく、ハルハ側の動向と併せて複眼的に考察する必要があるとの結論に至った。この成果の中には、モンゴル国での調査内容も含まれている。 こうした新たな研究に取り組むとともに、複数の国際学会での報告や学術論文・翻訳の刊行等、これまでの2年間の研究成果を公表することにも努めた。
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