本研究は、「長い18世紀」イングランドの統治構造の全体像を描くことを目的とし、治安維持の観点から、議会、政府、地域当局等の関係諸機関を巨視的に捉え直し、諸組織の連携の実態を探る。同時に新たな治安維持構造の形成における各アクターの役割と意義を明らかにするものである。 アメリカ独立戦争期から1829年に首都警察法が成立するまで、当該時期の政治・社会情勢を視野に入れつつ、ロンドンの治安維持制度の変容について考察した。とりわけ義勇団は軍事組織固有の機動性を持ちつつも、市民による自警組織的体裁を保っていたことに注目し、こうした義勇団の持つ独自性が首都警察導入に大きな示唆を与えたと考えた。そこで、治安維持分野における義勇団の活動を取り上げ、治安維持組織改革の動きの中で義勇団の役割と意義を捉え直すことを試みた。具体的には、第一に、ロンドン・ウェストミンスタ義勇軽騎兵団及びシティの2つの武装協会を事例に、義勇団の構成並びに財政のあり方について詳しく考察した。結果、義勇団は国からの支援を受けて国と協力関係を結びながらも、日頃から培われてきた地域共同体のネットワークを基盤としていたことが明らかになった。第二に、対仏戦争期の騒擾対応の検討を通して、社会の変化と共に繁雑となった治安業務について、内務省の緩やかな指揮の下、様々な治安維持の担い手が連携しながら、戦時下の新たな社会状況に対処していたこと、また義勇団の参与により、治安判事と治安官を中心とする従来の治安維持組織の不備が補われたことを明らかにした。第三に、議会議事録や下院委員会の報告書の分析を通して、ナポレオン戦争終結後、義勇団の騒擾対応における働きを念頭に置きながら、共同体の自立した住民から成る組織に軍事的規律を導入し、有用性を高める方向で、治安維持組織改革が検討され、それが首都警察成立につながったと結論づけた。
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