本研究は、戦後占領期における幼児教育改革に際して、文部省とともにその中心的役割を担ったとされるCIEが、どのような認識のもと、どのような主張を行っていたのか、そしてその背景には何があったのか、CIEの幼児教育構想について明らかにすることを目的としている。具体的な調査の実施にあたっては、以下3つの研究項目を設定し、日米両国の図書館・文書館に所蔵されている関係資料の収集および分析を行ってきた。 第一に、戦後日本の幼児教育に関与した5名のCIE担当官に焦点をあて、彼らの幼児教育に対する認識や主張、また文部省側との交渉過程について分析を行った。特に本年度は、『保育要領』(1948年3月)の作成過程におけるヘファナンの活動について、また、「幼稚園基準」(1952年5月)の作成過程におけるユアーズの活動について明らかにした。 第二に、戦後幼児教育政策の立案に携わった各CIE担当官の経歴や思想について分析を行い、本年度はストリックランドの来日以前の経歴や思想と、戦後日本における活動との関連について明らかにした。 第三に、各CIE担当官を介して戦後日本の幼児教育に影響を及ぼしたと考えられる、当時のアメリカにおける幼児教育の実態について分析を行った。特に本年度は、メリーランド大学図書館に所蔵されているACEI関係資料を中心に検討を行い、1940年代半ば以降、公教育としての幼児教育の位置づけを強化する方向への議論の高まりが認められたことを明らかにした。 以上、これまでに行ってきた研究を通して、占領期日本におけるCIEの幼児教育政策について、またその背景として、各担当官個人の思想的影響と、当時のアメリカにおける幼児教育との関連が解明されつつある。ただし、各担当官の経歴や思想、およびアメリカの幼児教育の動向については、戦後改革との関係に留意しつつ、今後さらなる分析を進めていきたいと考えている。
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