1.平成15年5月に「陸機の天人対--先秦から西晋に至る対偶の一様相--」(『集刊東洋学』第八十九号)、同年夏に「陸機「演連珠」の構成上の特質」(『六朝学術学会報』第四集)、同年10月に「陸機「演連珠」五十首について--その多元性と叙情性--」(『日本中国学会報』第五十五集)、平成16年3月に「郭璞「客傲」訳注およびその位置づけ」(『中国語学中国文学論集』第八号)を発表した。 2.上記四篇のうち、「陸機「演連珠」の構成上の特質」は、李善注本『文選』巻五十五が収録する、西晋の陸機(二六一年〜三〇二年)「演連珠」五十首とその李善注および劉孝標注を検討したものである。「演連珠」は、中国漢代から清代に至るまで作られ続けた「連珠」という文芸上の一ジャンルに属し、「珠」玉のように凝った修辞のアフォリズムから成る。該論は「演連珠」五十首の中に、従来には無い、隔句対二対と単対一対を組み合わせた長篇型連珠が含まれることに注目し、これらを前代および後代の、型は異なるがあい似た主張を持つ連珠や、後代の、同じ型の連珠と比較することによって「演連珠」のそれが、対偶間の対立と飛躍をもっとも拡大し、駢儷文としての完成度をもっとも高めたものであることを証した。かく「演連珠」は意味上の飛躍が大きいので、注釈が必須となるため、『文選』の代表的な注釈者である七世紀の李善は、「演連珠」については、六世紀前半の劉孝標の注釈をも自らの注の前に記している。李善が前人の注釈を自らの注に前置する例は、『文選』に十件あり、他の九件についての検討を併せ考えれば、李善が劉孝標の注を、先行する『文選』諸本や他の総集や陸機の別集からではなく、李善自身が当時の崇賢館でみた劉孝標の別集本から取り入れたと推量される。今は佚した『劉孝標集』の様相が李善注を介して浮かび上がる。
|