本居宣長没後の学統・鈴屋門は養嗣子大平が継受したが、大平は宣長の実子春庭ともども学派の拡大を図った。その手段の一つとなったのが「出版」である。彼らは宣長の著作の普及を通じて「国学」の全国化を成したのである。そうした「出版」は自家蔵版としても存在したが、当時勃興してきた名古屋の書肆「風月堂」ならびに[永楽屋」と松坂の「柏屋」結びつくことによつて着実な進展を遂げた。 こうした鈴屋学派の「出版」という媒体の利用については、従来、発信元の和歌山・松坂・名古屋の地方史の展開の一環として研究が推し進められ着実な研究成果があがっている。しかし、一方、「出版」されたモノ「書物」を受容し享受した全国の門人の実態、例えば書物の入手や蓄積の様子などについてに史料的な制限もあり未解明な部分が多い。 本研究は、東北の国学の拠点の一つ「みちのく社中」(福島市)の主宰者内池永年の「蔵書」の入手と蓄積とを解明する中で、国学関連図書の流布と学派形成の実態とを明らかにすることを目的とした研究である。 平成15年度の研究では(1)資料の収集と調査、資料のデータベース化、(2)各種関連文献の読解と検討、を主な作業として設定し、(3)研究方法の確立のための各種研究会への参加(発表を含む)にも心がけた。 主な調査地は、福島県福島市、三重県松阪市であり、福島県歴史資料館、本居宣長資料館等で資料調査を行うとともに、関連資料を入手した。研究発表を行った主なものは「書物・出版と社会変容」研究会(2003年8月)、日本思想史学会シンポジウム(2003年10月)、第3回東アジア出版文化に関する国際学術会議(200年11月)である。
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