日本の近世の社会と政治を語る上で、書物の果たした役割を外すことはできないであろう。日本列島で、はじめて商業出版が成立したのは、一七世紀初頭である。書物は、一七世紀を通じて、支配者層だけでなく民衆の上層、村落指導者層までを受容層として急速に普及した。書物の種類も増加し、版本だけでなく写本も流通していった。書物の登場とその普及は、現代まで続く「書物の時代」の始まりであり、大きな変革であった。農業技術について言えば、初の刊行農書『農業全書』(宮崎安貞著、一六九七年刊行)の登場は、農業史上の画期的な事件であった。これまで村の老農の知恵として語り継がれてきたものが、農書を読むこと、書物による知として学ばれるようになった。医薬についても、子弟の教育についても、同様なことが起きた。また本来は書物とは関わらなかった口誦による知(知恵・知識)、村落指導者層が担うオーラルな知も、書物による知を受けたものへと変質していった。そして、さらに興味深いのは、たとえば貝原益軒が著した書物(益軒本)が上は将軍徳川吉宗から下は在々の百姓まで愛読されたのが示すように、支配層から民衆までが同じ書物を受容し、いわば同一の知を共有することになったことである。 このように書物の登場によりもたらされた社会と文化の変容という状況を踏まえて、将軍吉宗は、教訓書『六諭衍義』の和解を刊行し頒布したり、あるいは医薬書『普救類方』を刊行し頒布したりというように、書物を利用した政治を執り行ったのである。書物による仁政は、吉宗の個性にのみ起因するのではなく、まさに時代の要請として施されたものだといえよう。民間に書物を読みその知識を使いこなす力量が蓄えられてきたから、政策として実行に移すことができたのである。
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