研究課題/領域番号 |
15068205
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
矢田 俊文 新潟大学, 人文学部, 教授 (40200521)
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研究分担者 |
浅倉 有子 上越教育大学, 学校教育学部, 助教授 (70167881)
堀 健彦 新潟大学, 人文学部, 助教授 (80313493)
原 直史 新潟大学, 人文学部, 助教授 (70270931)
仁木 宏 大阪市立大学, 大学院・文学研究科, 助教授 (90222182)
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キーワード | 日本史 / 中世考古学 / 中世史 / 近世初期 / 文献 |
研究概要 |
1 中世考古学・文献史学・歴史地理学による検討により、奥山荘下町坊城遺跡D地点(新潟県中条町)の館跡は鎌倉後期の地頭屋敷であること、奥山荘波月条絵図に描かれた地頭の「茂連屋敷」との位置関係がほぼ明確になった。また、従来、奥山荘の研究は鎌倉の権力との密接な関係が追求されていたが、奥山荘の年貢運上が地頭請となっても京都の升を計量基準としていること、中条の和田茂連がながらく「在京」しているなど、奥山荘中条の在地勢力は鎌倉だけではなく、京都ども深いつながりがあったことが明らかとなった。 また、下町坊城遺跡D地点そばの奥山荘政所遺跡群では、11世紀〜12世紀の遺構・遺物も出土しているが、この地は、地頭が支配する以前は白河荘を本拠とする城氏の支配地と推定される地域である。城氏の館という伝承をもつ陣ガ峰城館跡(福島県会津坂下町)は遺物から12世紀前半期の遺跡であると推定されている。本遺跡と陣ガ峰城跡との歴史的・空間的検討も必要であることが明確になった。 2 考古学の遺構研究・遺物研究を意識しながら長楽寺永禄日記の文献的研究を行なった。その結果、「建盞・天目」が酒を飲む時に使われるモノであることが確認できた。これは、建盞・天目は必ずしも茶を飲む時のモノではないことを示している。長楽寺永禄日記という一つの情報ではあるが、東国の土器が西国の土器と用途が異なるのではないかという議論があるだけにこの点を明確にできたことは重要である。 また、城郭がある山上に「小屋」と呼ばれる施設が複数存在することが確認できた。
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